一番最後のページ

2020.06/08

私は都内でナースをしています。これは二年ほど前の話です。ある病院で一人の患者さんを受け持つことになりました。
22歳の女性の患者さんです。彼女は手遅れの状態で癌が見つかり半年もつか分からない状態でした。
 彼女は笑顔がかわいらしい目のくりくりしたタレントさんみたいにかわいい人でした。末期のがんであと半年もつかわからないことは彼女もしっていました。けれど絶対に笑顔をたやさない。
人前で涙や弱音を吐かない人でした。そして明るく、とっても優しい人でした。私と彼女は同い年でした。
私は彼女を尊敬しました。
 彼女は上智大学の4年生でした。彼女はよく「卒業して子供たちに英語を教えたい」と言っていました。彼女は大学でアメリカに1年、留学していたからでしょう。同じ病院の小児科の子供たちにも好かれてよく英語を教えていました。彼女にはお母さんがいませんでした。彼女が小学生のときに家を出て行ってしまったそうです。それから、お父さんと二人でくらしていました。彼女はお父さんのことが大好きでした。彼女はあえて抗がん剤治療はしないで進行をとめる薬を投与していました。髪は抜けなかったものの、体は日に日に弱っていき、容態は悪くなる一方で彼女は日に日に衰弱していきました。
 
12月に入りました。彼女は意識がなくなりもうもたない状態になりました。彼女のお父さんは「逝かないでくれ、お父さんを一人にしないでくれ」と言っていました。本当に心が痛みました。
私は最後を立ち合いました。心肺停止になるとお父さんは彼女の酸素マスクをとり「ありがとう、ありがとう」と何回も繰り返しました。応急処置はできない状態だったのです。そのままといういい方はおかしいのですが処置はしませんでした。
お父さんは彼女の頭をなでながら「お父さんの子供でありがとう。」と言いました。
 私は泣きました。ボロボロでてくる涙はとめられませんでした。お父さんは彼女の病室からみつかった一冊のノートをみせてくれました。英語の勉強のノートだったのですが、一番最後のページにこう書いてあったのです。
ありがとう
ありがとう 
わたしはとっても幸せでした。お父さん、ごめんなさい。孫の顔みせてあげられなかったね。わたしは病気になってつらいことはあったけど、決して後悔はしていない。神様がわたしにくれたミッションだったかもしれないね。ちょっと、早めのミッション。男手ひとつで育ててくれてありがとう。だいすきだよ。彼女の葬儀にはたくさんのお友達がきていました。それから2年ほどたっていま、彼女のお父さんは私の病院で入院しています。
おとうさんは癌になってしまいました。
 けれどお父さんは私に言ったのです。
「もしかしたら、一人にさせたらいけないと思ってあの子がそうさせてくれたのかもしれない。だから死ぬのはこわくないんだ。あの子がまっていてくれてるから。」ときどき、彼女のことを思い出します。

人は一人ぼっちでは寂しくつらいものです。ましてや、最愛の方を亡くすことは言葉では言い表せないものです。

でも、「死ぬのがこわくない」と言い切れるお父さんの言葉に、私は心が震えました。
 本当はこわくても、こわくない・・・
この日本語の矛盾さに人間の強さと勇気と愛を感じました。 

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