D-time

Dタイム

ありがとうマンが贈る 
〜心に残るありがとう〜 話

2019.11.09

後悔の念が見せた夢

 子供の頃、家は流行らない商店で貧乏だった。母がパートに出て何とか生活できている程度の生活だ。学校の集金のたびに、母親がため息をついていたのをよく憶えている。別段、小学校、中学校は何とも思わなかったけれど、高校に入り、進学を考えた頃から両親と喧嘩することが多くなった。

 私は大学に進みたかった。美大に行って本格的に絵を描きたかったからだ。しかし進学するのに必要なお金な
ど、どう考えても捻出できなかった。毎日、昼のパート、夕方からのパートと掛け持ちで働き、くたくたになっている母親に、「何で進学できないんだよ!子供の進学資金も出せないようじゃ親失格だ!」と言ったことがあ
る。母親は涙ぐみ何も言わなかった。その姿にハッと我に返ったが、ぶつけようのない悔しさが邪魔をしてその
まま謝りもしなかった。しばらく後になって、あの時なぜ謝らなかったのだろうと猛烈に悔やむことになった。
母親は事故で亡くなり、直接謝ることは出来なくなってしまったのだ。

 パートの帰りの運転中の事故だった。交差点に突っ込んでの事故で、ブレーキ痕もない、過労だと思う、葬式
の後、母の部屋を整理していて、日記とも家計簿とも取れるようなノートを見つけた。食費や光熱費、私は家計
をやりくりした事など当然ないが、そんな私が見てもギリギリの生活だった。母親が自分のために使ったものな
ど何一つなかった。なのに、私のための進学のための貯金があった。ぎりぎりの生活の中で、本当に数百円の単
位で毎月貯金してあった。

 私が怒鳴ったあたりから、パートの時間が増えていた。後でわかった事だが、パートの勤務時間を頼み込んで増やしていたようだ。増えた分は全て貯金、私はバカだった。自分のことだけだった。母の笑った顔を最後に見たのはいつだったろう?

 私は何一つ親孝行などしてない、母がいなくなってから、後悔の連続だった。苦労ばかりかけて、自分のことばかり考えていた。何の親孝行もしていない。なぜあんな事を言ったのか、謝らなかったのか、謝りたい、心か
ら母に謝りたかった。そんな時、ものすごくリアルな夢を見た。夢の中で母親は居間で座っていた。母を見つけ
た私は、泣きながら母親に詫びた。何もしてやれないで、ひどい事を言ってごめんと。本当に子供のように泣いた。

 母親は私の手を握って、「謝らなくちゃいけないのはお母さんだから、ごめんね」と言った。それを聞いて、
私はますます声をあげて泣いた。起きた時は枕まで涙で濡れていた。そして手にははっきりと、母の手の感覚が残っていたのを憶えている。それだけならリアルな夢で終わっていたのだが、その夢を見た朝、父が「今朝、母
さんの夢を見た。」と言うのだ。私のことをよろしくと言ったらしい。

 父が「直接会いに行って話したらいい」と母に言うと、もう会ってきたからと言ったそうだ。後悔の念が見せた夢で、偶然の事かもしれない。でも、夢であれ、母に謝ることができて良かった。

涙が止まりません・・・号泣です・・・・・。
以前、聞いたことがありますが、こうしておけば良かったと思った時には、もうその人はいない・・・と。

後悔しないためにも、即行動しないといけないと教えていただきました。

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