D-time

Dタイム

ありがとうマンが贈る 
〜心に残るありがとう〜 話

2019.04.09

こんな顔してますよ

私の父は 全盲だった。
おまけに、若い頃に交通事故にあい、補聴器を付けないとほとんど音も拾えず、右足も左足より15センチ短い。遠目から見ても 障害者だった。
母も生まれ持っての弱視だった。 お互いの親戚とも絶縁状態。 おまけに私はひとりっ子。誰にも相談出来ず、1人悶々とした日々を送っていた。
私の親は 普通とは違う…
物心付いた時から、好奇な目とはどんな目か私は知っていた。
だって、ずっとその目に晒されて育ったから。
父は、身体障害者でありながら、外出がとても好きだった。
どこでも、少し見える母を介助に、私を連れて3人でよく出掛けた。
おまけに馬好き。競馬場にもよく連れて行かれたな。当時、幼かった私は、大きな公園がある所としか認識してなかったけどね。
3歳位の時は、よく 父に肩車してもらってたのを覚えてる。
外出先で、足が痛いと甘えると、父は必ず肩車してくれた。
それが私は大好きだった。
でも、いつしか私は、父と外出するのが恥ずかしくなった。
だって、すれ違う人皆、父を好奇の目で見て来るから…
私はそれに、だんだん耐えられなくなり、父と母と距離を取って歩くようになった。見えない父が、私が迷子になってないか、頻繁に大声で名前を呼ぶ。見えないから、大声で呼ぶしかないのだ。その度、恥ずかしさで いっぱいになる。私は極力離れて歩いてるのに、その名前を呼ぶ声で娘だとバレるから…
そんな思いのまま、時が過ぎ、小5の時に、父がくも膜下出血で帰らぬ人となった。父のお葬式の日、私にはこんなに親戚がいたのか…という位、人が来た。そう、父は9人兄弟だったのだ。全く交流が無かったので、全く知らなかった。
幼かった私は、結局、父と外出するのがイヤという思いの中、父は突然 この世を去った。私も成長して、後になって色々話を聞くコトになる。父が私をどれほど愛してくれていたのかを。
私が生まれた時、とても喜んでいたと。自分に似ているか?
と、周りに聞いていたと。
ぺちゃっ鼻がソックリよと言われると、嬉しそうに笑っていたと。
とても可愛がって育ててくれた。父の愛情は、幼い私にもわかるくらいだった。それでも、私は父と歩くのが恥ずかしかった。
大人になって、本当に思う。
どうして、隣に並んで歩かなかったんだろう。大好きな父だったのに。
父も気付いていただろうに。
私が離れて歩いているコトに。
なんで、そんな残酷なコトしてしまったんだろう。・・・・・
涙が止まらない。
お父さん。
どうして あんなに早くに死んでしまったの?
今生きていたら、私が介助して、どこでも連れて行ってあげたのに。
大好きな競馬も一緒に行って、一緒に予想したりしたのに…本当にごめんね。
並んで歩かなくなった娘で。
もっと、お父さんと並んで歩きたかった。
色んな所に行きたかった。
車も運転出来るようになったから、遠出もしたかった。
あの時の私は、何もわかってなかった。
恥ずかしいと思って、本当にごめんね。
お父さん、天国で私の顔、見えてますか?
あなたに似て、美人と言われるくらいになりましたよ。
私は、こんな顔 してるんですよ。

人は失って気づくことがあると良く聞きます。このエピソードもまさしくその通りですね。
自分のことを懸命に愛してくれたことに気づくのでしょうね。

娘さんが後悔をしておられる姿が目に浮かんできます。でもお父さんを認め、お父さんの娘として生まれてきて良かったと言っておられる・・・。涙が溢れた瞬間でした!

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