ふるさとに
芸術・文化・伝統・風土を育む
その田附さんは、祖父は尺八の奏者、祖母は詩吟の歌い手、叔母は日本舞踊の演者、父は笛、母はお琴と今藤流三味線の長唄の師範、姉も日本舞踊に親しまれるいう、根っからの芸能一家で育たれました。「学校で習わない事を習え」というお母さんのすすめで、茶道や華道とあらゆるものを習われたのですが、今まで続けられたのが唯一日本舞踊だったと笑われます。「当時は京都から踊りの先生が来られて、公民館や公会堂で30人くらいのお弟子さんが稽古をされてたんですよ。最初は着物を着せてもらって喜んだり、舞を見るのが嬉しくて、動きのある踊りがとても好きになりました」と田附さん。毎年開催されていた発表会も、親御さんや関係者の手作りの舞台で、アットホームな雰囲気の演舞発表の場だったようです。一番の思い出は「高校生の時に私が踊り、おばあちゃんが唄い、お母さんが三味線を弾くという女三代で出演した時のこと。今でも忘れられない舞台のひとつです」と話されます。わずか50年ほど前の能登川は、そんな伝統文化を楽しむ風情があったんですね。
今では日本舞踊を習われる人は減りましたが、田附さんは30年もの間、敬老会などで地域を回られ「お年寄りの喜ばれる顔が見たい」とボランティアで日本舞踊を舞われています。更に歌手の地方公演の時には、プロダクションから賛助出演の声が掛かり、日本舞踊を披露されるとのことです。「踊りの発表会の開催には大きな費用が掛かりますから、なかなか開催する事はできません。けれど、見てもらってこそ芸に磨きがかかりますから、この様な場を活用して日本舞踊を普及するPRと、自分とお弟子さんの修練の場にしてるんです」と話されます。田附さんが師事していた師匠方が他界され、7年前から宗家・八世勘十郎さんに師事され、大阪の稽古場で直接の指導してもらえる機会を得られました。宗家に直接教えてもらえるって、凄いことですね。
コロナ禍の影響で文化活動が減って、危機感を持たれている田附さん。「時代の流れはあるけど、伝統芸能文化をなくしたくない。続けたい」と強い想いを持たれて、踊りのすそ野を広げる活動を続けられています。着物への抵抗感、お金がかかると思われる固定観念、これらを打ち消し、克服する方法はいくらでもあると田附さんは言われます。体幹を鍛えるすべての要素が、踊りの基本となっていますから、太極拳のような感覚で取組んでもらうのも良いのではと感じます。「私が踊ると家族中が注目し、喜んでくれ、誉めてもらえた」と田附さんが言われる様に、一家が夢中になれる楽しみ方を伝えて欲しいですね。
田附さん、いや藤間勘真歳さんの益々のご活躍を楽しみにしています。日本舞踊にご興味のある皆さんは、是非、こちらまでご連絡下さい。
藤間流 藤間勘真歳 ☎ 090-1488-4307