ふるさとに
芸術・文化・伝統・風土を育む
鉄を叩く事が楽しいという純粋な思いから、徐々に何か面白いものを作れないかと模索し始められました。地元の前衛的な建築家や、日本の木の文化を大切にする家具職人との出会いにも刺激を受け、鍛造のサンプルを造って各地の建築事務所を訪問営業されます。「インターネットのない時代ですから、PRや商品宣伝活動には苦労しました。ただ時間はかかったけど、人との出会いで様々な情報や知識を教えてもらえたことには感謝しています。そんな人達に勧められ、250年前にシェーカー教徒が製作・使用した、実用性に徹した薪ストーブの復元制作もやりました。雑誌の記事が仕事につながると聞けば、モダンリビングなどに取材をしてもらったり、何でもやったんですよ」と話されます。ある日、雑誌の記事を見た大学の研究室から電話が入ります。東京大学工学部建築学科のK教授からの電話でした。「数件の制作依頼をもらい、たくさんの設計事務所やお客さんを紹介してもらいました。無理を言って、私達の商品カタログの挨拶文も書いてもらったんですが、その効果は抜群でした」と笑われます。その後のバブル景気の中、時間とお金を使った公共建築が石倉兄弟の追い風となりました。「たくさん仕事をさせてもらいましたが、お金に走らず、しっかりとオリジナルな仕事をしたお陰で、皆さんに育ててもらいました」と振り返られます。この様に自分達の成長の最大の理由は人とのつながりだと言われ「思いは、会って話さないと伝わらない。頭で考えるだけでは、オリジナリティは生まれない」との考えから、人との会話、そして何よりも人間関係を大切にされています。この様な姿勢が、奇跡のような偶然を数々生みだし、鍛造作家としての道を歩み続ける大きな支えとなったのでしょうね。「教えられる事も、教える事もない関係は退屈ですよ。ネット社会の到来で情報が溢れるこんな時代だからこそ、その先を求めるには行動あるのみ。新しい発見をし続けるには、好奇心と新たな出会いしかないね」と話されます。
石倉さんご兄弟は鍛造作家として京都市の西加茂で起業し、湖東町小八木で10年、そしてヘムスロイド村の工房で31年目を迎えられます。康夫さんが紙でデザインし、創さんが現場でディテールを検討し制作する。方向性は違っても、お互いを刺激し合える関係であり続けることを意識されてきました。「私達にとって価値のある、美しい作品を作り上げるには、この関係でないとできない」と鍛造作家として共に歩んでこられたのです。
人生70年を超え、大病をものともせず、石倉さんご兄弟は鍛造作家としての新たな夢を語られます。かねてよりお世話になっていた銀座一穂堂ギャラリーさんのニューヨークのギャラリーが、今年の8月に工房に来訪され、出展のオファーがあったそうなんです。「世界で一番尖がっている場所で、最高のモノを見ている人達にどう評価してもらえるか。今からワクワク、ドキドキしています」と話されます。今後のご活躍が楽しみですね。
『鍛FORGE WORKS』 https://tan-forge.com/thought
一穂堂 https://www.ippodogallery.com/
https://www.ippodogallery.com/exhibitions/63-iron-strokes-forged-metalworks-by-hajime-and-yasuo-ishikura/